PSI Vol.1, No1 May 1976 Special contribution paper 1-1. pp.7-10.
 特別寄稿論文
 心理生物物理学(1)
スタントン・マキシー(翻訳 関英男)
On Psychobiophysics
Dr. E. Stanton Maxey (Transrated Hideo Seki)

1.まえがき
 William Osler 喞はかって卒業してゆく医学生に向って語ったことがある。
「諸君!わたしは告白します。わたし達が諸君に語ったことの半分は誤りです。わたし達は残りの半分が何であるかもわかりません。」
 偉大な世界的霊媒の一人である、Eileen Garrettはつぎのように意味深長なことを書いている。
 「人間というものは宇宙の中で自分が思ってるほど、偉くはないが、同時に自分の予想以上の責任を負わなければならないことも事実である。」
 われわれは実際わかりきったことを応用するにもつねに躊躇していながら、どうして人類の進化に関するような大それた知識の正当性を確かめるにはどうしたらよいであろうか?われわれ自身の心理学的保証が、つねに進歩する輝かしい新技術にてらして、最も深く内在する宗教的・科学的概念(これらは本当にちがうだろうか?)を検討し、修正しようと待機することを望んでいるのではないのか?多分あなた方は、最も牢乎として保有する新年のある部分を修正し、新らしい資料を基礎にした、より適切な概念体系を組み立てようと望んでいるであろう。

2.人間とは
 然らば人間とは何か?生物学の人間は母の子宮内から単細胞器官として発生したものである。Darwin理論は同じような系統発生論的起源について教える。一人前の成人としての人間は、内部骨rakuに密着した350兆の高度の特殊化した細胞から或る異常に複雑な器官であって、地理的環境の中で広汎な活動ができる。その感覚器官は触覚、味覚、聴覚、視覚、嗅覚等の手段によって、無数の環境感知能力をもっている。これら五官のいずれも満足にわかってはいない。意識は人間の第六感といってもよい。これは、人間はその生理的構成や、ある程度その外部環境を知るのみならず、さらにかれが気づいている事実についても知ってるといえる意味である。科学者はだれも、自分の気づいているということのわかる人間以外の動物を知らない。第七感という仮説は、人間自身の魂を知ることに関連している。魂は霊といった方がよければ、それでも差支えない。心理学、精神医学、超心理学、精神測定学、サイコトロニクス、念力、超精神医学その他数多いこの種の科学は人間の魂の知覚について説明するために出現した。
 未来を見通す感覚については、すでに多くの人々がいっていることを考えれば、それを獲得できるかも知れない。 しかしはたしてそれほど多くの人々が言い尽したであろうか?人間の生物学的構成は重量からみて、何らかの形の水80%からできている。 しかし、われわれはそれについて何を知っているだろうか?水をどこまでも小さい粒子に分割してゆくと、当然正負の電荷にわかれる。ある種の水は-90°Cになってはじめて凍る。化学的に純粋な水に1,000エルステッドの磁場をかけてやると、工業ボイラーの湯垢をとかす力を得るが、もしこれをモルモットに与えると排尿過多症になり、病気をおこす。そのような動物の子孫は三代にわたって倭小(発育不良)になる。

3.究極の粒子
 ニュートンの時代以来、というよりも原子を想像したアリストートルのギリシャ時代からさえも、科学はがっちりと構成された。
 正当と考えられる現象は、だれでもすべての訓練された観測者によって教育的に繰返しがきかなければならない。当然のことながら、1オームの抵抗に1ボルトの電圧をかければ1アンペア流れる。これに例外というものはない。科学は、いくつかの基本的な粒子を理解することによって、多くのそのような基本的ブロックの多様な配列がすべてのものを説明できるし、将来も説明するだろうということを確認している。最初はそのような基本粒子を想像したが、Brookhaven国立研究所のDr.Raymond Davis により仮想されたelectron nutrino(ニュートリノ)(電子中性微子)である。そして、かれは金の廃抗の深さ1マイルから湧出する100,000ガロンの洗滌用水を試験して、その粒子を発見した。
 もっと最近ではやはりBrookhaven国立研究所のSamuel Tingと Stanford 加速器センターのBurtonRitcherとはサイ(psi)粒子(ここでは中間子の一種で関氏のものとはちがう)の発表をしてマスコミのトップ記事をさらった。その寿命は10-20秒である。

4.エーテルの再認識
 物理学では有名なMichelson Morleyの実験でエーテルの存在を示すような証明ができなかったことから、稀薄な透過性エーテルの概念を放棄した。Einsteinはこの点を取上げ、かれの理論は光速一定の基礎の上に打建てられた。今日では、宇宙空間に放たれた測定器が宇宙空間で電磁的に非常な活発さを示したことから、Conklinは地球の絶対運動は160km/sであると推定した。この運動の方向を局部的な天文座標で表すと、赤経13時(経をあらわす時は度を時という理科年表参照)、赤緯32度である。現在の仮説では、1019eV/cm3のエネルギー密度で遍在し、透過性をもった中性微子の海(nutrino sea)からなるエーテルがあるということになっており、そのためにMichelson Morleyの于計の地理的な置き方によっては、光速の変化を観測不能にしているわけである。
 しかし、模索する科学は、無限に極微な構成素子に向って進んだが、その概念に終止符をうつことができなかった。むしろ、科学者達は冷静にふみとどまるどころか、むしろノストラダムス(Nostradamus)のように神秘主義的な方向に走ってきた。光の研究に際しては、光子ホトンの振舞は観測事実を説明できなくて波動説の誕生となった。原子の外殻を構成するマイナス電荷・電子が結晶格子の間を動かされるときも、波のような振舞をする。物理学者Louis de Broglis(ドブロイ)は原子構造を波動的見地からとらえ、その後の科学はすべての物質を二つの便法で考える方向に発展した。つまり、粒子性と波動性である。それでもなお、物理学者は真空容器の中を光のビームが突抜けるときの波動とは一体何物であるかと問いかけ、それに対して「なぜ、何かが波打つなどと考えるのですか?」と答えてみたり、あるいは、もっと知ったふりをして「すべての物はお互いに関連しているから、波の形で存在するのですよ」とか答えるかも知れない。
 物理的な実体について別の見解を展開したJames Clark Maxwellの業績をAlbert Einsreinは論評して「Maxwellによれば、物理的な実体というものは、機械的に説明のできない連続の場で表されたものと考えているらしい。…実体についてのこのような概念の変化は、Newton以来の物理学におこった最も深遠で実りあるものである」とのべている。
 このように、現代の科学者は、ときとして互に排反するような三つの概念(註:粒子、波動および場)を器用に乗りこなす。かれはサーカスの曲乗りのように、必要に応じて、容易に一つの現象や他の現象を理解するために、一つの馬から他の馬に飛び移る。物理学はこの過程を相補足という形式にまとめることすらしたが、しかし、それは最終的な一種の訴訟院としてのみ満足すべきであることを慇懃に忠告している。

5.生物物理学
 奇妙なことに、物理学教(宗教)は、その法則が生命の起源について、全然かほとんど何の洞察力も与えないのに、なお、すべての生命エネルギーが科学でいう粒子、波動および場の理論の複合から導かれねばならないと断言する。現代の生物学は、Galileoが太陽中心地動説を宣言してローマ法王Urban VIII世の教会を動揺させた以上の激しさで物理学を脅かしている。
 物理学では個々の原子は他の原子に変換できることをみとめ、そのような反応に必要なエネルギーは正確に知られていると断言する。Curiesの発見以来、物理学者は放射性物質の原子変換をみとめた。そして、大学では現在、放射能の崩壊割合(半減期)は気圧、気温、化学的状態、電位および単原子層の応力によって変ることがわかった。いまや、バクテリヤから、ホモ・サピエンスにいたる生物系は不可能と思われるほど低いエネルギー・レベルで、永遠の期間にわたり、至る所で錬金術的な元素変換をやってきたことがわかってきた。物理学的科学者は生物系がそのような演出をすれば、自分達の概念の城郭の構造にひびが入ることを恐れる。それでも、生物系は、別に問題の物理学者から何も教わらないでも、そのような演出をやってのけるのである。
 Alberecht von Heerzeeleは蒸留水の中で育った生きた植物がカリウム、燐、マグネシウム、カルシウムおよび硫黄等を創造することを観察した後、約100年前(1873)に“無機物質の起源”(The Origin of Inorganic Substances)という本を書いた。かれの植物は燐を硫黄に、カルシウムを燐に、マグネシウムをカルシウムに、カリウムをちっ素に変換するようにみえた。
 パリのエコール・ポリテクニック(L'Ecole Polytechnique de Paris)の無機化学研究所所長Pierre Baranger教授はそのような錬金術的生命過程のあることを確かめ、それかが光と月の相に関係あることをのべた。かれの言葉はその人柄を表している。
 「わたくしはエコール・ポリテクニックで20年も科学を教えています。どうぞ、わたくしの主催している研究所が誤った科学の巣窟でないことを信じて下さい。しかし、わたくしは、科学に対する尊敬を知的遵奉主義によって課せられたタブーとを取違えませんでした。わたくしにとって、厳密な実験は、それがたとえ根深い因習を打破するものであっても、科学にとって忠実な表明です。
 Von Heerzeeleの実験は絶対的な納得をするにしてはあまりに稀でした。しかし、かれらの結果は現代の研究室で可能なかぎりの注意をもって管理し、統計的に反駁できないほど十分な反復をするよう励ましてくれました。それがわたくしのやったことです。

6.元素の変換
 もっと最近になって、Louis Kervranは化学組成が定量的にわかっているタンクの中で脱皮中のエビがカルシウム量を閉系で250%も増加することを示した。日本のHisatoki Komakiは24種の微生物が燐を錬金術的に生成することを観察し、つぎの反応を示唆した。
   7N + 8O →15P
 物理学に災いあれ。生命は13世紀にブルーノ(Bruno)とガリレオ(Galileo)のだした宣言よりも痛く、かの女の側に突刺さる針である。

7.細胞電池
 人間はそのような生命系の一つである。かれの350兆個の細胞の一つ、白血球をしらべてみよう。この細胞の核はその原形質と細胞膜に関して負電荷をもっている。それはちょうど、地球上の電離層に関して、地球表面が負電荷をもっている様子を顕微鏡的模写をしたようなものである。細胞の新陳代謝と酸素消費はつぎの一次的目的をもっているようにみえる。その機能はナトリウムを汲みあげて細胞膜の一方の側のカリウム濃度を高め、他方のナトリウム濃度を高めることによって、膜の両側のイオン電荷の名を等しくすることである。実際、Cleveland診療所の創設者George Crile博士は1943年つぎのようにのべた。
「……各生命細胞はそれぞれ自身の化学作用で電流を発生する小さい電池のようなものです」
 正しくその通りである。それでもなお、現代のNASA研究者によって確かめられ、発展された所のこの概念はかれの時代には嘲笑された。アルバート・シュバイツァー博士から「われわれとともに行動した医学の天才」といわれたDr. Max Carsonは癌細胞対正常細胞の転換においてナトリウムイオン(Na+)対カリウムイオン(K+)の転換を観察し、ともに癌の有効な食事療法にまで発展し、さらにまたホトン(光子)の本質的生命維持性に言及した。電子スピン研究所の出現によって、Szent-Gyorgi教授の輝かしい、希望のもてる研究ができた。かれは、つぎの言葉でわかるように、細胞の電子移動に要する生物学的仕事関数を発見した。
「生命の燃料は電子である。もっと正確にいえば、光合成でホトンから譲受けるエネルギーである。電子が細胞器官の中を流れる間に次第にこのエネルギーを放出するのである」
 このように、われわれ人間はびっくりするように複雑な電気的実体をもっている。人間全体として独立した電気的性質のあるものは鍼のつぼ定位においてみられる。人間全体の電気的な場の性質は場のメーターで表示することができる。実際、1930年代の中頃にH.S.Burr博士は各種の皮膚電位を測定していて、その頃90%の確率で女性の生殖管の癌を異状電位と関連づけた。生理的な睡眠に入ると、人間の皮膚抵抗は急にケタ違いに高まり、頭部と脚部の電荷レベルが完全に反転する。

8. ESP
 夢みている間には脳波計の記録がシータ(θ)あるいはデルタ(δ)リズムになり、それに伴う陰茎の勃起がある。
 事実、電気的機能に関連した知覚の過程をみるとき、謎はさらに深まる。Andrije Puharich博士が発表した所によると、人間は聴神経と関係のない部分の皮膚につけた電気装置で聴くように教えることができるし、われわれはかくして聴覚機構が、指で色を知覚するのと同じような問題になってくることがわかる。すべての人は経験によってかれらの五感のことを知っているが、これらの認知がどこで行われるかということや、現在の所、将来の研究にまたねばならない。
 各人が熟知し、常識になっているように、一般にみとめられた五感の経路の他に第六感をもっていることがわかってきた。ものに気がつく感覚である。生物科学は人間以外の動物で、自分の気づいている事実を表明するものを知らない。しかし、人間は自分の気づいていることを知る。
 あまりよくわかっていない第七感として、人間はかすかではあるが、自分の魂にも気がつくものと仮想してみよう。霊は“人間の魂”と定義される。実際、意識知覚はもっと適切に言えば、周期的に肉体的生命を現出する永遠の霊作用とみなしてもよいかどうか、と質問してはいけないだろうか?確かに人間科学を研究する人々は物理学者を同様に、われわれの“相補性”をみとめてもらわなければならないのである。
 明らかに、知覚現象を深刻に研究する学徒はだれでも、その作用は、光の現象がホトンの表れとみる以上に、生きている脳物質の現れでなければならないかどうかと質問してみなければなるまい。知覚の科学的測定がかってなされたことがあるだろうか?これには“否”と答えざるを得ない。けれども各自はかれ自身の中にある“自我”を知っている。この質問を公式に表現すれば、「気づくことは、われわれが気づいたことを知るよりは低級であろうか?」となる。気づくことは場の現象だろうか?人間の心、すなわちかれの存在を知覚することは脳物質の作用であろうか?それとも、それは時時脳と協同するが、偶然に知覚的にすべての地理的・時間的閾を超越する場の現象であろうか?この超越型の例としてはBridie Murphy現象(第二の記憶)や、“生まれ変わりの暗示”についてIan Stevenson博士の蒐集した1300例や、催眠術で再演した前世の心霊的ストレスを患者の現世における感情や心の不調の原因としてDennis Kelseyが実際に用いた例などがある。Kelsey博士の研究やかれの成功した処理記録などを知っている精神医学者は少ないように思う。

9. 超能力と色盲
 “肉体離脱”の経験についてはどうであろうか?これは、人が自由意志で壁を突抜け、遠距離に飛び、あるいは外国に旅行し、そこで実時間に起っている事実を正確に感知することができる。もっと稀には、普通このような自由旅行能力をもたない個人が、激しい外傷や病気のとき、心の作用の正常の物理的限界を同様に超越できることがある。著者の知人の精神外科医は頭部外傷のある患者が幻覚をおこし、過去に全くきいたはずのない古風の明瞭なスペイン語を話したとき面喰った。明らかに、永い永い年月にわたるその上うな報告は、ある種の奇妙な集団ヒステリーからきたものか、あるいはある条件の下で、心が大脳皮質との普通の連絡から離れて動作し得るものかのいずれかである。かれ自身が“肉体離脱”旅行者である所のBob Monroeは現代物理学者から専問的援助をうけて、この上うな形式の心の動作ができる人々を訓練する目的の複雑な電子研究室をつくった。
 あなた方の中には透視能力者や霊媒のような神秘的能力者をみた方もあると思う。これらの人々は病気をみ、遠方の事象を知り、かれらの知らなかった姓名をいゝあて、恐るべき正確さで、過去や未来の事象を描写する。ときとして、Endorの聖書の魔女のように、かれらは永い昔に死に埋葬された人の心とはっきりと話をする。
 Friedrich JurgensonおよびKonnstantin Raudiveはともに、透視術者や霊媒に依頼することなく、霊界からの声が電子的に録音できる装置を組立てた。
 ここまでのべてくると、現代の物理学者が軽蔑すべきバクテリヤの無礼な錬金術的元素変換について心配するように、読者の中にはそのような知覚作用について心配になってきた方々もあるかもしれない。あなたがかりに灰色の色盲の世界にすんでいたとしたとき………突然、頭部外傷でもうけた途端に完全色がみえるようになったら、どんなに吃驚するか考えてみて下さい。あなたが本当に色盲の友人や隣人に虹の色の感覚をどうして記述できるかということになれば、あなたの人生はどんなに奇妙で厄介なことか?あなたが気狂いと判断されることもあり得ることだ。

10.夢
 共通の経験というものは何よりも大きな調停者である。そして、人は何も超常知覚の経験においても色盲にとどまる必要はない。夢をみることは正常な人間の機能である。かれ自身の夢を観察したJ.W.Dunn(“時間の実験”の著者)の例をたどる者は、その夢の頻繁な正確な予知的内容をすぐに明白にみとめるだろう。自分の予知的夢の筋書を発見すれば、完全色彩感覚の心霊的な人間に類似した感触をもつようになる。多くの夢が価値をもつことについては、物理学者Niels Bohrが原子模型を描写した夢を世界に発表してノーベル賞を得たことや、化学者August Kekuleが同様にベンゼン環の夢で栄養を得たことからも確かめられる。Edwin Rickmanの反復する夢の結果、英国において回転中の重量が静止中の重量より25%も軽いヂャイロスコープ装置が製作された。われわれは重力の新しい理解がつづいてでき、ノーベル受賞者を生む他の夢がみられるかどうかを確かめようとして待つばかりである。しかしながら、夢意識は断続的にではあるが、われわれの心霊色盲を減少できることを確かめることはできる。

11.大脳とコンピューター
 現代の複雑な電子計算機の出現は多くの人々に制御回路、記憶装置およびプログラム処理の点で生物的コンピューターとして大脳が類似しているという感を抱かしめた。しかし本質的な差がある。どんな電子計算機でも、あらかじめプログラムされた必要データなしに問題をとくことはできない。電子計算機は人間の超常聴覚、透視および予知と全く比較にならない。コンピューターにESPはない。
 それゆえ大脳を、それに情報を送ってプログラムもするし、それから順序命令をうけて心に質問をする一つの器官と考えてみよう。そして心に大脳の経路以外から情報を受信することもできるし、中枢神経系以外の経路を通して物質領域に影響を及ぼすこともできると仮定しよう。もし、物理学者に許した“相補性”の法則および過去の生涯についての記憶の困難性に関する特権をわれわれに与えるならば、視覚によらずに遠方の場所を透視することや亡くなった人間の心からの超常聴覚も高級な組織体にとっては正常な秩序だった現象に帰してしまう。だから、Cleve Backsterが観測したように、人間の心の状態に植物が反応する問題や、例えばUri GeHer や、lngo Swannや、Shi Babba やYOlanda Beteghのように天与の人々の心に反応して物理学の法則を無視するような物体の問題は、現代の物理学的概念を破壊するというよりも、むしろより高級な組織体の正体を明白にすることになる。そこで、Robert MonroeやSylvan Muldoonの“肉体離脱”旅行は生理的大脳から離脱した場における、これらの人々の“心の場”の作用と推測することができよう。
 しかし、肉体の測定によって、これらの奇妙な心霊能力を伴う弱い変化の何を明らかにすることができようか?聖者や真の魔法使をとりまくオーラを直接みる感覚もなくて、どうして前進できようか?
心理生物物理学(2)へつづく

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