PSI Vol.44, No.1 December 2022 Data 1j. pp.76-80.
葬儀供養から見た体験談
伏見 真光*

はじめに
 私は、真言宗の僧侶としてご葬儀により亡くなった方が、大日如来の導きにより一層の浄化向上をされるようにとの御祈願と、悪因縁払拭・健康保持等の加持祈祷また呼吸法と月輪の中にすべての言葉の筆頭であり、宇宙そのものを象徴とするとされる梵字の阿を取り入れた阿字観瞑想等も行い、宇宙の真理である大日如来と一体化せんため修法を日々行っている。

 日常のこれらの行を執り行うにあたり、ほぼ常識的に亡くなった霊が側に現れ、ラップ音など発して「霊界での苦しみを分かって欲しい、成仏させて欲しい」等自分の存在を顕示し救済を求めるため、必死に表現をしてる。

 当然、この世に生を受けている時には、肉体と魂は共存し肉体の寿命が来るまで生きていくこととなるのだが、寿命、事故、病気等で肉体が滅びた後も、未熟な魂は自分の死を悟ることなく生前の生活、欲望のままこの世に未練を残している。

 もはや、痛みも苦しみも存在しない世界へと旅たっているはずであっても、この3次元の世界に未練を残し、必死に訴えてきていて、その必死さは哀れの一言と言える。

 また、特定の方のご祈念をしている時においては、その方の意思が垣間見えることから、祈念したりなどの事柄も生じている。そこで、本日その事例のいくつかをお話しするところだが、本題に入る前に、真言宗にいて少し説明をしたい。

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