PSI Vol.5, No.2 November 1980 Suggestopedia special number-Description1 pp.12-14.
スーパーラーニングの一方法・サイコ・ドリルの開発
佐々木浩一

 戦後、急激に進歩した大脳生理学や心理学或は実験心理学等を応用することによって、知能的なものの改善はでき得るであろう、と云う予測にもとづき、種々実験の結果、その可能性を確信するに至っていた。折しも1973年、カナダの2名の女性ルポライター、オスランダー及びシュレーダー両女史の著書「鉄のカーテンの背後のサイ現象」の中で、ブルガリヤの医師ロザノフ博士創始の加速学習法サジェストペディアと云うものが存在し、その教育法はサジェストロジーと云う理論にもとづくものであることを知った。しかしその技法については同書には記述はなく、ただカナダ政府は50万ドルの国費を投じ、ブルガリヤから全文献を買入れ、更にブルガリヤに研修生として研究員を派遣し、現在実験中であることと、米国に於いても既にロザノフ博士を招き、その指導を得ると共に、現在実験中であると報じていたのである。その後、両女史の共著ESP文集で、サジェストペディアの実施場の様子や、やり方の一端を知り、それが一種の暗示学習法であることを知ったのであった。その後、日本PS学会関秀男会長が米国より諸文献を導入され、米国に出向されてその実情を探られ、我国でも実験を開始され、更に新考察も加えて「五十倍学習法」を著述されると共に、研究会を発足されたのであった。
 暗示学習と云うことを、他者催眠手法で行うことは、その歴史は古く、外国の文献に於いては知らないが、我国に於いては明治大正の両時代から昭和の現代まで、実験室的に、或は教育現場で実施されたデータは明治時代に催眠教育学習を実験したのは村上辰午郎氏(福来博士と東京帝大同期卒業の文学士)であり、同氏は大正末年からし昭和初年頃、京都の平安予備校で、暗示法による記憶学習を実施していた。第二次大戦後において 我国では催眠術の流行が見られ、昭和28年頃からテレビの普及と共に、ブラウン管上に度々最近実験が見られるようになると共に、催眠関係の著書も100以上に及び、方々の中学校や、高等学校で、催眠学習の実験がされ、その効果が週刊誌等に誇大的に報告されたのであった。しかしながら催眠学習と云う技法の効果と云うものが確定的でなく、時に驚異的効果を発揮したり、全く効果が無かったりして、多数を一度に教育すると云う、学校現場での画一的な実施が困難であることから、実験されたり、放棄されたりして、今日までこのくりかえしが行われて来たのであった。…

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